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去年の旅から、早一年。またまたインドに行ってきました。
今回は、去年より長く休みが取れたので、ネパールにも寄ってみました。
なぜ、またインドに行ったかというと、去年の旅の話に書いたように、タージマハルを見に行くこと、インドにもっと馴染むことがテーマでした。
さらに、新しい国ネパールへ行き、また違った国際交流してきました。
どのような旅だったかは、下記の旅行記を見てください。
よかったら、掲示板に書き込むかメールをください。
それでは、どうぞ!

一日目(2月23日)
2002年2月23日−2002年3月3日までインド&ネパールに行ってきました。
いつもより朝早く起き、一年ぶりのインドに向けて家を出発しました。
12時にAI(エアーインディア)309便で成田を出発し、去年と違ってバンコクを経由して「デリー国際空港」へ到着しました。
到着した時間は、すでに夜の22時過ぎ。日本時間にすると、深夜1時半くらいです。
朝早く起きていたので、すっごく眠かったけど、ここからインドとの勝負が始まると思うと、ちょっと緊張している自分がいました。
空港を降りると、ほかの日本人が初インドということだったので、私が案内?(ってほどじゃないけど)してあげることになり、一緒にハバールガンジ(メインバザール)まで行くことにしました。
去年の失敗を踏まえて、タクシーではなくCityBusで行こうと思ったのですが、乗り場がわからないのでうろうろしていると、やはり、インド人が声をかけてきました。
その人は、この時間ではバスが終わっているから、1人40Rs.で送ってあげるって言ってきました。
そんなことを信じられない私は、ほかの人に本当にバスは終わったのか、または乗り場はどこだと聞きに行ったりしたけど、結局わからなかったので、1人10Rs.なら行ってもいいと伝えました。
そしたら、速攻で、「No Problem!」。
出ました!!インド名物「No Problem!」。
これを聞きにインドに来たと言っても過言ではない私は、ずっと[Really?」を繰り返し、さらに、10Rs.以上払わないよと何十回も言って確認し、勝負をかけることにしました。
正直言って、このときは、1人10Rs.で行ってもらえると思っていなかったのですが、時間が遅くなっていたので、市街へ出発しました。
車に乗って1時間くらい経つと、ある場所に停まりました。
着いたのかな?って周りを見てみると、どこかで見たことがある場所だな?って思ったら、去年連れて行かれて降りてしまったツーリストオフィスの前でした。
これは、ちょっと笑えました。
去年の経験から、ここで降りてはいけなく、がんばって連れて行ってもらわないといけないのを知っていたため、ここは違うからハバールガンジへ行け!ってしつこく言って、連れて行ってもらいました。
そのあと、ホテルに連れて行きそうにもなったのですが、いいからすぐに行け!と連呼して、目的の「ハバールガンジ(メインバザール)」に到着しました。
料金は、もちろん1人10Rs.しか払いませんでした。
まずは、一つ目のリベンジが成功しました。
そして、ハバールガンジを歩き、客引きのおじさんとお話しながらホテルを探し、3軒くらい見てみて、結局、去年泊まったスタープレイスホテルというところに泊まりました。
19歳の従業員 このホテルは、去年は、1泊200Rs.に払ったけど、今年は、170Rs.にまけさしました。
このとき、すでに0時を過ぎていました。
一緒にいた日本人とは、違うホテルに泊まったため、いったんお別れをして、ホテルを決めたあとに、私が泊まっているホテルの屋上レストランに集合して、これからの旅について話しました。
ここは、去年、初めてインドカレーを食べた思い出深いところで、今年も初カレーをここで食べました。
やっぱり、久しぶりのインドのカレーは辛かったです。
隣の写真は、私と従業員のお兄ちゃん(19歳)です。
結局、深夜2時過ぎくらいまで話していて、さすがに疲れたので、部屋に戻り寝ました。

二日目(2月24日)
時差の関係?か、あまり眠れないまま6時ごろに起床。
シャワーを浴びて、8時ごろに出発した。
とりあえず、デリーは去年回っていたので、新しく見る場所もなかったため、とりあえずメインバザールを回りました。
その後、コンノートプレイスをぷらぷらしていると、最初は英語でその後日本語で話しかけてくる大学生(ラジ)がいました。(それまでにもたくさんのインド人から声はかけられていますけど・・・)
暇だった私は、ちょっと相手にしてあげたら、日本の大学教授や学生の名刺を出してきて、日本にも何回か行ったことがあると言っていました。
とりあえず、その辺でクリケットをやっている若者を見ながら、英語と日本語を混ぜて話していると、チャイを飲みに行こうと言ってきた。
あ〜あ、こいつも結局インド人だなって思って断っていると、それならラッシーはどう?と言ってきて、おごってくれると言っていました。
インド人がお金をくれというのはわかるけど、おごってくれるなんて信じられないかったのですが、おごってもらったらいい記念と思い、ラッシーならいいよと言って飲みに行くことに。
ラジは、携帯電話を持っていて、知り合いの奥さんが日本人だから話さしてあげるよって言ってきました。
別に話すこともないからいいって断っていたんですが、結局、名前も知らない日本人女性と2分くらいこのインド人は安全かどうかなど話していました。
そしたら、ラジという名前は、インドでたくさんいる名前だから、どのラジだかわかんないとか言いだし、お金だけは気をつけてって言われました。
それを聞いて、やばいかなって思ったんですけど、結局、ラジは、彼女から電話が来るとデートに行ってしまいました。
インド人にもたまにはいいやつもいるんだなって思いました。
ごめんね。ラジ!m(__)m
インドは、すっごく暑く、朝からずっと歩き回っていたっため疲れた私は、どこかで休憩を取ろうと思い、日本人にもおなじみのマックへ行きました。
マハラジャマック なぜ、インドまでいってマックなの?って思う人もたくさんいると思うのですが、それにはわけがあったのです。
それは、「マハラジャマック」を食べること。
マハラジャマック?!その響きだけでも、興味をそそられるものをぜひ一回食べたいと思っていました。
そのマハラジャマックとは何ぞや?と思って、そんなにお腹は空いていなかったのですが張り切って注文してみると、出てきたのはビックマック。
何だよって思って包みを開けると、カレーソースみたいなものにマトンのミートというインドっぽいものでした。
マックでは、トレイも下げてくれちゃうし、サービスも良くしてくれて、インドっぽくなかったです。
私は、汚いインドのほうが好きなんだなって改めて思いました。
2時くらいになり、コンノートの真ん中にある公園(地下鉄工事のため、一部しか入れなかった。)でのんびりしていると、デリーマップを持った外国人(西洋風ではない)が話しかけてきました。
どうしたのかな?って思って、どこの国の人?って聞くと、トルコ人でした。
どうも、インド人が怖いらしく、話しかけるのもちょっと辛いみたいで、身なりの良いインド人?の私に声をかけてきたみたいです。
私が日本人だというと、「I’m sorry.」と言ってきて、何してるの?って聞いてきました。
インド門でトルコ人と ただ休んでいるだけだって言うと、一緒にデリー門まで行ってくれって言われ、「Why?」って聞くと、インド人が怖いし、インドはベリーデンジャラスと言うんで、一緒に行くことにしました。
「デリー門」は、去年、リキシャから見ただけだったので、もともと行こうかなって思っていたところだったんでよかったんですけどね。
私は、てっきりリキシャで行くのかと思ったのですが、インドが怖いトルキーは、歩いて行こうと言い出しました。
結局、話しながら暑い中を30分くらい歩いてやっと到着。
かなり疲れきっていたので、インド門を見た後、公園内の日陰で休憩しながら話していると、次はどこに行くの?と言う話になりました。
電車でアグラ→バラナシへ行き、その後は、飛行機でネパールのカトマンズに行くと言うと、「電車はすっごく危険でやめたほうがいい。」とか、「ネパールは、ゲリラ紛争が起こりインドよりもデンジャラス」とか言ってきて、電車のチケットがないのなら、一緒に私とツーリストバスで行こうと言ってくれました。
親身になって言ってくれているのがすっごくわかって本当にうれしかったのですが、残念ながら断ることにしました。
彼は、ムスリムなので、ジャイプルには行かないのか?と何回も言ってきて、絶対に行ったほうがいいとお薦めされました。
私も行きたかったのですが、時間がないので次回インドに来たら行くよって言うと、またインドに来るの?ってすっごい不思議そうな顔をしていたのが印象的でした。
彼にとってインドは、とてもデンジャラスで、落ち着かない国みたいです。
彼がツアーに戻るということなので、彼にとっての初リキシャを体験させてあげて、コンノートまで戻りました。
リキシャに乗る時も「大丈夫?」と私に連呼していました。
そんなトルコ人を見て、トルコはどんな国なんだろうって気になりました。
次の候補のひとつに挙げておきましょう!

コンノートに戻り、まだ時間もあったので、去年門番と喧嘩した「ジャマーマスジット」へ行きました。
その辺を地図も見ずに歩いていたら、大きいグランドでクリケットをやっている集団がたくさんいて、またまたクリケットを見ていました。
コンノートでも見ていたんですが、結局、よくルールがわからない??
なのに、インド人が一緒にやろうと言ってきたのでグランドまで入ったんですが、結局、お前使えないってダメ出しされました。
打つほうなら、ちょっとは自信があったんですが、順番が来なかったので打たせてもらえませんでした。
でも、なんかずっと同じ人が打っていたような気がするんだけどな。
ジャマーマスジットの番人(一番前) まあ、それはいいとして、去年のリベンジ第二段。
去年同様、ジャマーマスジットの門にはあの男がいて、またまた50Rs.払えば中に入れてやるって言ってきました。
ここで払ってしまったらまた負けだと思い、去年は日没だから50Rs.だって言ってたと伝えて、すっごい不満そうな顔をしていたら、何人?って聞いてきました。
答えたくなかったけど、ジャパニーズって答えると、態度が急変!
17時過ぎたら入れてあげるって言ってきました。
どうしたのかな?って思っていたら、一緒にチャイを飲みに行こうと言ってきました。
またこれだって思ったけど、17時には絶対に入れてくれるっていう約束をしたんで、飲みにいくことに。
(でも、門番はいいのかなって思いましたが・・・。)
ジャマーマスジットでの隠し撮り 目の前のチャイ屋に行くと、本当におごってくれて、今回は、インド人におごってもらってばっかりと不思議な感じでした。
ちなみに、左写真の前の人に写っている人が、そのジャマーマスジットの門番の人です。
結局、門番の人は、いい奴と言うことが判明し、本当に17時になったら中へ入れてくれました。
しかし、写真はNGと言われましたが、結局、隠し撮りしてしまいました。
その写真が、右の写真です。
ちなみに、他の日本人と西洋人の旅行者は、50Rs.を払っていましたけどね。
念願のジャマーマスジットに入り、これで、リベンジを果たせました。
帰りにチャンドニーチョークで、バラナシ用のビーチサンダルを買い、ハバールガンジ(メインバザール)まで帰りました。
ハバールガンジ(メインバザール)でターリーを食べて、早めにホテルに戻りました。
今日は、ほとんど寝れないまま歩き回っていたのと、明日、朝6時発のアーグラ行きの電車に乗るので、早めに寝ることにしました。

三日目(2月25日)
朝5時に起きチェックアウト。
二日間お世話になったホテルの人に挨拶をして、ニューデリーステーションへ。
6時発のShatabti Expressに乗り込み、アーグラへ出発!
この電車は、すべて指定席(クラスは2クラス)で、私は、ChairCar(下の)クラスに乗っていたのにもかかわらず、ミネラルウォーター1リットルと機内食が出てきました。
隣に座っていたスコットランド人の女性と2時間ちょっとのあいだ色々話していると、あっという間にアーグラに到着しました。

アーグラに到着後、まず目指したのが、やはり「タージマハール」
タージマハル このためにインドに来たので、絶対に中に入ってやると思い、オートリキシャと値段交渉。
アーグラは、リキシャの評判がすごく悪いので、慎重に選んでいざ出発。
途中、政府観光局によって観光マップをもらい、駅からタージマハルまでの料金を聞いてみると、払う予定の料金よりちょっと安いことが判明し、まだまだインドは侮れないなって思いました。
そして、タージまで送ってもらうと、一日専属でどうだとかしつこく言ってきたので断ると、急にもっと高い料金を請求してきたので無視をして、最初に決めた料金のみ払い、いざタージマハルへ行きました。
タージマハル2 ゲートに行くと、料金が値下げされていました。
去年は、500Rs.+US10$(460Rs.)だったのが、500Rs.+US5$(250Rs.)になっていました。
もし、去年にこの値段になっていたら、ぎりぎりは入れたような気がしたんだけど・・・。
ちなみに、インド人は、20Rs.というんだから、やっぱり高いと思うけど、まあ値下げしてよかったと思います。
でも、インドは、本当に外国人料金が多すぎる!!(怒)
外国人料金は、中国でもあったけど、何とかならないのかなって思います
タージマハル3 去年、インドで会った人が、あんだけ高いお金払う割りにたいしたことがないって言っていたんで、ちょっと心配しながら中に入ってみると、遠くにそびえ立つタージマハルがありました。
私は、一瞬にしてタージマハルに心を奪われ、ずっと見ていました。
よく観光写真にように、中央に道があり、その奥にタージマハルがあるという光景です。
どんなかは、隣の写真を見てください。
百聞は一見にしかず(合ってますよね?)です。
ただ、ひとつだけ嫌だったのが、すっごく暑い中、大きいバックパックを持ったまま見なくてはならなかったことです。
これで、去年の最大のリベンジが終わりました。

タージマハルを見て満足した私は、意気揚々と次の目的地「アーグラ城」へ行きました。
歩くとちょっと距離があったのですが、重い荷物を持ちながらがんばって歩いていると、リキシャーマンが話しかけてきました。
ちょっと疲れたので休憩しながら話していると、10人以上の日本人の手紙を見せてきて、私はGood Manだから、「信用して乗りなさい。」何て言ってきました。
インド人の良く使う手でした。
アーグラ城 一応、手紙を読んでみると、確かにいいやつみたいなんですが、必ずマージンが入るお土産屋に連れて行くって書いてありました。
さらに、一日チャーターはどうとか言い出したので、そろそろ行くかと思い、丁重にお断りして、再びアーグラ城へ向かって歩き出しました。
ちょっと道に迷って変なところに行ってしまったけど、何とかアーグラ城へ到着しチケット売り場で券を買って門に行く(その間10メートルくらい)と、なんとチケットがない?!
アーグラ城2 何でかな?もらってないかなと思い、いろんなところを探したけどやっぱりない。
仕方がないので、チケット売り場へ行ってもう一度くれって言うと、もう一回買えと言われた・・・。
当たり前のことだけど、なんか悔しかった私は、何回も「もう一枚くれ!」とお願いしていると、その辺にいたインド人が声をかけてきた。
うざいな〜。今はそれどころじゃないんだよ!って思っていると、なんと、そのインド人が私が落としたチケットを持っていたんです。
今回の旅は、本当に良いインド人に出会っているなって改めて思い、「Thank You!」を連呼してお礼を言い、アーグラ城の中に入っていきました。
中に入ると、これまたいいところで、観光名所ということなら、アーグラがお薦めかなって思いました。
アーグラ城は、別名レッドフォート(赤い城)という名のとおりレンガ?造りの赤い要塞で、これで外からの攻撃を守っていたんだなっていうのが良くわかります。
それに、中の作り(デザイン)がすっごくきれいで、これを見ているだけでもいいものです。
これまた、百聞は一見にしかずですので、左右の写真を見てください。
右の写真の奥に見えるのがタージマハルです。

これで、アーグラの有名な観光名所は見終わったため、次の目的地バラナシからカトマンズとカトマンズからデリーまでのエアーチケットを買うために、インディアンエアラインのオフィスへ向かいました。
アーグラ城からは少し遠かったため、リキシャで行こうと思ったんですが、あまりにも客引きのリキシャが多かったため、ちょっと歩いて流しているリキシャを捕まえようと思いました。
歩いていると、やはりリキシャたちがひっきりなしに追いかけてきて、重い荷物を持ったまま暑い中を歩いている私は、疲れきっていました。
そんなときに、ボンベイからホリデーで来た大学生の二人組みに会い、バイクでインディアンエアラインのオフィスへ連れて行ってもらいました。
あれ?二人組みなのにバイクに乗るってことは、三人乗り?
大丈夫なのかな?って思っていると、当たり前のように、ここに乗ってと言われて、言われるままに乗りました。
生まれて初めての三人乗り(ノーヘル)で、オフィスまで送ってもらいました。
ちょっと不思議な気分でしたが、それより虫が多くってしんどかったです。
その二人組みから、今はオフィスが昼休みだから、昼ご飯でもどう?って誘われたんですが、インド人を信じていない私は、昼休みはないだろうと思い、さらに、昨日トルコ人にエアーチケットが混んでいて取れないよって言われていたんで、チケットを早く取りたいため、断ってしまいました。
そして、実際にオフィスへ行くと、13時15分〜14時の間は本当に昼休み。
着いたのが13時17分くらいだったので、45分待ちとなってしまいました。
今思うと、せっかく親切で送ってくれ、さらにお昼ご飯も誘ってくれたのに、悪いことしちゃったなって後悔しています。
今回の旅は、本当に良いインド人が多くってちょっとびっくりしました。
(もちろん、それまでに普通の?インド人にもたくさん会っていますけど・・・。)
45分入り口で待ってやっとチケットを買い、夜のバラナシ行きまでの夜行には、まだまだ時間があったため、もうひとつ観光名所であるイディマド・ウッダウラー廟に行くことにしました。
近くにいるオートリキシャマンに声をかけて料金交渉をしていると、あれよあれよと4人のリキシャーマン達(サイクル含む)に囲まれて、モテモテ状態でした。
結局、どれもこれも良くなかったのですが、時間ばっかり過ぎていってしまうので、最初に話したオートリキシャで行くことにし、イディマド・ウッダウラー廟に到着しました。
そこは、建物は小さいのですが、タージマハルの技法になったという建物で、見た感じは良かったです。
タージマハルやアーグラ城に比べるとほとんど人がいなく、逆にそれが良かったのかもしれません。
そこから、ヤムナー川が見えるのですが、川で遊んでいる子どもたちに手を振ってみると、笑顔で手を振り返してくれました。
そういうところが、インドのいいところだとつくづく思いました。

そして、バザールをぶらぶらした後、夜行を乗る予定駅のあるトゥンドラーへ行くため、バススタンドまで行きました。
なぜ、アーグラから乗らないのかという人もいるかもしれませんが、この日は、曜日の関係により、ちょうどいい時間の夜行がなかったんです。
バススタンドに着いたのはいいんですが、どのバスに乗っていいのかさっぱりわからない・・・。
とりあえず、オフィスみたいなところがあったので聞いてみると、近くにいた爺さんが俺について来いって言ってきました。
訳も分からずついて行くと、急にここで待てと言われたので座って待つことに。
疲れていてので、ウトウトと眠くなっていたら、急にあのバスに乗れって言ってきた。
バスを見るとすでに満席で、みんな立ち状態。それも、すでに動き出しています。
次のすると言うと、いいから乗れ乗れ!と言うので乗り込んでしまいました。
バスはそのまま出発し、一時間ちょっとの間、すっごい辛い体制のまま立っていました
結局、降りる場所がわかんないので、周りの人に言われるまま降りてみると駅の姿が見えない。
その辺の人に聞いてみると、向こうと言うだけで、全然見えない・・・。
本当に大丈夫かなって思いつつもとりあえず歩いていたら、お店があったので水を買おうと思うと、「ウォーター」という言葉が通じない。
ここは観光地ではないため、外国人は私以外いません。なので、英語が通じないのも仕方がないんでしょう。
まあ、私の発音が悪いのもあると思うのですが・・・。
インド人の兵隊 途中、何人か英語が通じる人に駅までどのくらいの距離かって聞くと、100メートルだ200メートルだとか色々言われて、ずっと歩いていると、結局、一時間くらい歩いてどうにか駅まで着いた。
駅の近くで、「インド人アーミー」の人に話しかけると、その人も駅に行くということだったので、一緒に行くことにしました。
その人は、ラジャスターン地区で、パキスタンとの国境付近に勤務?していると言っていましたが、ほとんど英語が通じずにボディーラングエージと歩き方に載っているヒンディー語を見ながら話していました。
その駅は、ニューデリーやアーグラとは違って田舎駅なので、本当に真っ暗で電車が来るのか心配になるくらいでした。
アーグラからの電車がないときは、このトゥンドラー駅の電車を使うと空いていていいと思いますが、旅なれた人にしかお薦めできません。
結構、駅に着くまで辛いと思いますよ。
それでもよければ、いいと思いますが・・・。
結局、電車が遅れた関係もあり、2時間くらい待って、そこでアーミーさんとはお別れしました。
始発駅ではないので車両を探すのが大変でしたが、何とか探し出し出発ぎりぎりに乗り込みました。
今回は、去年のA/CなしSleeperクラスではなく、A/Cありの二等寝台だったので、知らない人は車両に入ってこなく、さらに、スチュワードの人がバラナシ着いたら起こしてくれるというので、ぐっすり眠ることにしました。
一応、念のため、同じ車両の人にも頼んでおきました。

四日目(2月26日)
朝4時50分ごろ「バラナシ駅」へ到着。予定より約45分遅れで到着とは、インドの電車にしては優秀でした。
しかし、去年は3時間くらい遅れたので、どうせ遅れるから4時くらいの到着でもいいやって思っていたので、はっきり言ってどうしようと悩んでしまいました。
とりあえず、駅のホームに待合室があったので、5時くらいまでがんばっていたのですが、雰囲気が異様に怖く、さらに、ホームには足場がないくらいに寝ている人がたくさんいて全然落ち着かなかったので、駅のリタイアニングルームに泊まることにしました。
そこは、ドミトリーの部屋で、トイレとシャワーが共同でありました。
部屋は汚いですが、寝るだけならぐっすり眠れます。
とりあえず、9時くらいまで寝てからシャワーを浴び、一年ぶりの「ガンガー(ガンジス河)」へ向けて出発しました。
ゴードウリヤーまでサイクルリキシャーで行き、そこからはわざと歩いてガンガーまで行くことにしたのですが、思った以上に遠く、すっごく疲れてしまいました。
しかし、ガンガーを見た瞬間、その疲れが吹っ飛ぶくらいの感動がありました。
とりあえず、荷物をホテルに置き、デリーで買ったサンダルに履き替えて再びガンガーへ。
ガンガーでは、特に何もやることがないため、火葬場へ行ってみました。
去年とまったく変わらない風景に、本当にここは時間が止まっているのではないかって思うほど、落ち着く雰囲気です。
ヨガの先生 日本にいたら、絶対に味わえないと思います。
だから、沈没してしまう旅行者も多いのでしょう。
火葬場をぼーと眺めた後、逆方向に向かって目的もなくそこら辺にいるインド人と話しては歩きを繰り返していると、自称ヨガの先生に会いました。
去年、ヨガをやろうと思っていたけどできなかったので、今教えてくれと言うと、快く承諾してくれました。
しかし、インドにしてはちょっと高かった(一時間で100Rs.)んでどうしようかと思ったんですが、せっかくなのでお金より経験を選びました。
その前に、その先生が沐浴をするということで待っていると、一緒にやろうと言われました。
水着をホテルに置いてきていたので、がんばってひざ下までは入りました。
そして、その人の家でヨガをやるというので、路地裏のちっちゃい通りを歩いて、薄暗い部屋に入って行きました。
正直言って、暗い部屋でちょっと怖かったのですが、現地の生活の一部が見れてよかったです。
それで、いざヨガを始めてみると、体が鬼のように固い私は、すっごく辛かったですね。
言われるようにできなくて、駄目人間でした。(ToT)
私ができなかったせいもあるのかもしれませんが、イメージしていた足を頭の上に乗せるとか、奇妙なポーズをとる等はなく、呼吸法とお祈りがメインでした。
ちょっと予想と違って残念でしたが、いい経験ができました。
ただ、次の日は筋肉痛でしたけど・・・。
サムスアップ ヨガを終えてガンガーに戻ると、インドにしか売っていないコカコーラ商品の「Thums Up」(親指)というジュースがあったので買ってみることに。
コーラとはちょっと違って、炭酸が薄く甘い飲み物でした。
その後も、ガンガーのガートでぶらぶらしていたり、クリケットを見ていたり、インド人と話したりして、本当にのんびりと過ごしました。
インド人の結婚式 そうしていたら、その辺のインド人が「10分後に結婚式があるから来なよ!」と言ってくれたので見に行くと、若い二人が結婚式を挙げていました。
歳は聞かなかったのでわからないのですが、たぶん10代ではないかと思います。
そう思うと、私はいつに結婚する(できる)のかな?なんて考えてしまいました・・・。

夜になると、恒例のプージャー祭り?が始まりました。
去年もお世話になったダシャーシュワメードガートの売店のおじちゃんに、ウォーターを買うからと椅子に座らせてもらい、ずっと祭りを見ていました。
終わるときに、坊さんが何かお菓子?を配っていたので、現地のインド人に交じってお菓子をもらってからホテルに帰りました。
なんとなく、このまま寝るのももったいないと思っていると、ちょうどホテルにチェックインしてきた日本人の人が夕飯を誘ってきたので食べに行くことにしました。
その人は、デリー国際空港の銀行で大きい声で交渉していたので、すっごく印象に残っていました。
もちろん、むこうは、私のことを覚えていませんでしたし、空港では、話もしてないんですけどね。
適当に、その辺のお店に入り、サモサとカレーを食べて、久しぶりの日本人との会話に楽しんで、ホテルに戻ってみると事件発生!!
何かというと、持っていた鞄がない!?
どうしようと思い、ダッシュでお店に行ってみると、なんとわかるところにかけて持っていてくれました。
インドだから絶対に無くなっていると思い、その中にカメラがあったので、今までの写真が全部パーになってしまうと、本当に泣きそうになっていたので、すっごくうれしかったです。
何度も書きますが、今回の旅は、本当にインド人に助けられています。
それで、何回もお礼を言い、明日も食べに来ると約束をしてホテルに戻りました。
安心したら、急に疲れが出てきたので、このあとすぐに寝てしまいました。

五日目(2月27日)
今日は、インドルピーが残り少なくなっていたので、ホテルの人に両替所はどこ?と聞くと、ホテルの人が(個人的に)両替してくれようとしてくれたんですが、レートが悪いなって思って断っちゃいました。
そして、その辺りの両替屋で両替しようとしたら、さらに悪いレートだったんで、これでは両替できないと言うと、結局、ホテルと同じレートで両替することになりました。
そう思うと、ホテルの人は親切で両替してくれようとしたのに悪いことをしたなって、ちょっと反省をしました。
そして、サイクルリキシャで、ドゥルガー寺院に行きました。
その寺院は別名モンキーテンプルというだけあって、猿がいっぱいいました。
ドゥルガーとはシヴァ神の妃であり、恐ろしい神みたいです。
寺院の中に入ると、シヴァのようにおでこに赤いのをつけてもらい、首に紐をつけてもらいました。
これで、少しは、ヒンドゥー教に触れられたような気がしました。
その後、ドゥルガー寺院近くのトゥルスィー・マーナス寺院、サンカト・モーチャン寺院に行って、バラーナス・ヒンドゥー大学へ行きました。
ヴィシュワナート寺院 教員を目指している私は、インドの大学がどんな感じかを見てみたかったのですが、春休みで閉まっていたため、ただ敷地内をぷらぷらするしかできませんでした。
本当なら、校舎内とか入ってみたかったんですけどね。
それで、大学の敷地内に「ヴィシュワナート寺院」(左の写真)があるのでそこを入ってみると、修行僧か何かに食べものを配っていたので、それは何?って聞いてみたら、私にもくれた。
それは、カスカスしたパンみたいなものを中途半端に甘い汁に浸して食べるんですが、あんまり味がなく、はっきり言って美味しくなかったです。
これは、いまだに何かはわかりません。
知っている人がいましたら、教えてください。
その後、すっごい道が悪い舟橋を通って、待望の向こう岸へ。
向こう岸には、バラナシのマハラジャの家があり、さすがに豪邸という感じでした。
もちろん、中には入れないですけどね。
そのすぐ近くに、ラームナガル城(博物館)があるので入ってみたのですが、そんなに名所ってわけではなかったです。
これで、バラナシの南地区の観光地はすべて回ったのですが、やっぱりバラナシは、ガンガーがメインということを改めて知らされました。

ということで、やっぱりガンガーに戻ってきました。
特にやることもなかったため、周りを見ていると、つるんでいる日本人がいっぱいいました。
いつも思うのですが、何で日本人は、一人旅とかで来ているのに、現地でつるむのだろうと。
それでは、一人旅ではないのでは?って思ってしまいます。
私は、基本的には、現地で日本人よりも現地人と話すようにしています。
それのほうが、国際交流や異文化コミュニケーションができて面白いし、日本に帰ればたくさん日本人がいるんだから、こっちに来たときくらいはわざわざ一緒にいなくてもいいのではって思うのです。
もちろん、話したり情報交換をするのは、全然良いことだと思いますけどね。(ここは重要!日本人が嫌いなわけではない。)
話は戻って、ガンガーを見ていると、日常からの脱出ができるのではないかって思ってくるくらいのんびりしているので、川が見えるところで寝てしまいました。
近くにいたインド人が、この日本人は変わっているなって感じで、ちょっと不思議そうに私のことを見ていましたが。
結局、30分〜1時間くらい寝た後、またまたガンガー沿いをぷらぷらしてインド人と話したりしていると、子ども(名前を聞かなかった)と仲良くなりました。
その子どもは、ボート漕ぎの子で、最初30Rs.と言っていたんですが、私が10Rs.なら乗るよって言うと快くOKと言ってくれました。
ちなみに、この辺で声をかけてくるボート漕ぎは、1人乗りだとだいたい40Rs.って言ってきます。
実は、ボートで向こう岸に行ったことがなかったので、この誘いはちょうど良かったんです。
そして、向こう岸についてみると、本当に何もないところでした。
こっち側から見てて、本当に何もないところだな〜って思っていたんですが、本当にそのままでした。
そこで、その子に教師?として日本語を教えてくれと言うので、数字の1〜10までと「行こう!」、「船に乗りませんか?」などボート漕ぎとして使える言葉を何個か教えました。
私自身、ティーチャーとして楽しくできたので、持っていた小銭すべての18Rs.を払ってあげました。
結局、一時間くらい授業?をして戻りました。

バブル君と知らない人と その後、あの有名なクミコハウスの前にいる「バブル君」と話していました。
昨日もちょっとだけ話したんですが、彼は、ボート漕ぎと店をやっている21歳で、青いボートを所有していて、いつも同じ服なのが特徴です。(写真の左の人。右二人は通りがかりの人)
日本語も少し話せて、いつも同じ場所に立っていますので、たぶん会ったことがある人も多いのではないかと思います。。
そのバブルと、一時間くらいずっと話していて、日本人が通ったら、一緒に船に乗らないかって誘ってあげたりしました。
それを見た日本人は、あいつなんだ?って顔で私のことを見ていましたが・・・。
話していたら、近くで日本人の船上ライブが始まりました。
私は、日本人とはインドに来てまでつるみたくないのでバブルと話していたのですが、バブルのほうから「行かなくていいの?」って言ってきました。
私は、「日本に帰れば、日本人だらけなんだから、バブルと話しているよ!」って言ってあげると、うれしそうでした。
ちなみに、その船上ライブは、長期滞在の日本人主催で、料金は無料(アズユーライクかも)だったこともあり、50人以上(たぶん)の日本人が船に乗っていました。
一隻の予定が乗り切れず、ちっこい船が急遽出ていたくらいです。
そう思うと、そんなにバラナシに日本人がいたんだなって、びっくりしました。
確かに、どこ行っても日本人がいるなって思ってはいたのですけどね。
結局、バブルと一時間半くらい一緒にいて、暗くなってきたので、夕飯を食べに行きました。
帰るときにバブルが、「ボートは乗らないの?」って言ってきたんで、明日の早朝に必ず来るからと約束をしました。
夕飯は、昨日のかばんを預かってくれたお店に約束通り行き、カレーを食べてホテルに戻りました。
今日は、プージャー祭りを見ずに、ホテルの屋上からずっと夜景を眺めていました。
その夜景は、本当に落ち着く感じで、香港の夜景のきれいと言うのとはちょっと違っていました。
でも、こっちのほうが、良いかもしれません。
屋上の下の段で、シタール等インド楽器の演奏をしていたので、それがまたバックミュージックで味が出ていましたしね。
そうして、バラナシ最後の夜を満喫し、部屋に戻って明日の出発の準備をし、早めに寝ることにしました。

六日目(2月28日)
朝6時にチェックアウトをして、「ガンガーの朝日」を見に行きました。
朝日はすっごくきれいで、また神秘的で、そこで沐浴をしているインド人を見ると、なんかすばらしく思いました。
でも、私は沐浴はしませんでしたが。
そう思うと、私は日本人なんだなって思いました。
ボートでのバブル それで、プージャー祭りのときに椅子を借りたおじさんに挨拶に行くと、日本のぼろいタオルとミサンガみたいなものを物々交換してくれました。
その後、約束どおりバブルのところへ行き、朝日を船から眺めました。
ガンガーに浮かんで朝日を浴びていたら、なんか不思議なパワーが出てき(たような気がし)ました。
船に乗っている間に、絵葉書売りの女の子がこっちによってきて、1枚5Rs.でどう?と言ってきました。
特に、買うつもりもなかったのですが、せっかくだから2Rs.なら買うよって言うと、3Rs.と言ってきて、結局、3Rs.で買ってあげました。
その時、バブルがその女の子を「グットビジネスマンね」と言っていたのが笑えました。
そして、一時間くらいガンガーを回って戻ってくると、ついにバラナシを離れる時がやってきました。
この町は、何があるってわけじゃないんだけど、本当にいいところです。
この時間が流れていないという感覚は、日本ではたぶん味わえないと思います。
最後に、バブルと住所と&E−Mailを交換して、バラナシを後にしました。

バラナシ空港へは、リムジンバスで行こうと考えていたのですが、サイクルリキシャーに空港までのバス停までと言ったら、ローカルバス乗り場で降ろされました。
それで、どのバスに乗ればいいかを教えてもらい、アーグラに続いてのローカルバスを乗りました。
今回は、座れたから良かったのですが、またまたどこで降りていいのかわからない?!
何人かに、バラナシエアポートまでと伝えていたので、どうにか降りることができたのですが、本当にインドのローカルバスはわかりません。
このときばかりは、インド人を信用しないと無理ですね。
それで、ついにバラナシ空港に着いたのですが、ちょっと早かったようで、まだチェックインの作業が始まっていませんでした。
とりあえず、ネパールの歩き方を読んで待っていると、西洋人の集団がたくさん来ました。
結局、カトマンズ行きの飛行機の乗客は、ほとんど西洋人で、その次にインド人が少しいて、日本人は私1人でした。
飛行機に乗り込もうとすると、なぜかすごくチェックが厳しく、持っている電化製品の電池をすべて出されて、荷物の中身を二回もチェックさせられて、ぐちゃぐちゃになってしまいました。
このいい加減な国でなんでそんなに厳しいチェックをするのかな?って思っていたんですが、結局良くわかりません。
もしかしたら、ネパールでゲリラ事件が起きたからかもしれないですが。
飛行機に乗り込み、寝てしまったらあっという間にネパールでした。
たぶん、一時間くらいだったと思います。

14時ごろネパール到着!
初めての国でどのようなことがあるのか胸を躍らせながらイミグレーションに向かうと、待っていたのが遅い処理でした。
ビザを持っていない私は、そこでビザを発給してもらってから入国審査をしたのですが、それが終わったのは、もう15時くらいになっていました。
とりあえず、ホテルを探すために、タクシーでダルバール広場まで行きました。
普通、旅行者はタメル地区が定番なのですが、私は、敢えてあんまり日本人がいないところを選びました。
ダルバール広場 ダルバール広場に着くと、すぐ目の前のパークゲストハウスにチェックインし、荷物を置いてちょっと休憩して、16時半くらいに町へ出かけました。
ちなみに、そのホテルは、店番の青年も親切で、さらにバス・水洗トイレ付き、スプリングベッドという高待遇にもかかわらず、すっごいお手ごろ価格でお薦めです。
とりあえず、町を歩いてみると、周りの人があんまり声をかけてきません。
インドから来た私は、すっごく物足りなかったし、また見た目が結構小奇麗な格好の人が多く、改めて別の国に来たことを思い知らされました。
私は、インドの汚くていい加減なところのほうが好きな気がしました。

ハヌマン・ドカ像 観光として、まず「ダルバール広場」へ行き、クマリの館、シヴァ寺院、カスタマンダブ寺院、シヴァ・パールヴァティー寺院、ハヌマン・ドカ(旧王宮)、パンチャム・ムクヒ・ハヌマン寺院、ジャガナート寺院、タレジュ寺院など、その一角の見所を全部見ました。
こんだけ見ると、すっごい時間がかかるんじゃないかと思われますが、実は、この一角はすごく狭く、あっという間に見終わってしまいます。
ここでの一番印象的なものは、ハヌマン像だったような気がします。
写真を見てもらえればわかると思うんですが、このインパクトはすごいでしょ?!
もちろん、ヒンドゥーのお寺もいいですけどね。
一通り見終わった後、ニューロードへ向けて出発すると、マハンカル・バイラブ寺院がラトナ公園沿いにあり、そこから北上していくとラーニ・ポカリと言う中に寺院のある池がありました。
さらに北上すると国会議事堂があり、現王宮が見えます。
現王宮に入りたかったのですが、外国人は月曜日にしか入れないって言うことで、今回は無理なことがわかりました。
もし、次回来るときは、月曜日にカトマンズに来るようにしたいと思います。
ただ、中に入ると何があるのかよくわかんないですけどね。
現王宮が見れたら左折するとトリデビ寺院が見えて、この辺で、カレンダーやトピー(ネパールの正装帽)を買いました。
このあと、ちょっと道に迷ってしまい、現地人と思い道を尋ねたら、その人は韓国人でした。
私は、嬉しくなってちょっと知っている韓国語を披露したところ、何ともいえない顔をしていました。
正直言って、むこうには迷惑だったと思います。

そして、旅行者のメッカである「タメル地区」に着きました。
タメルは、お土産屋と安宿が並ぶところで、特に観光がどうのこうのって言うものはありませんでした。
ただ、こういうところだと、インド人ぽく声をかけてくる人も結構いて、その中には、やっぱりチョコだのハシシだのといってくるやつもいました。
私は、タバコも嫌いなので、そういうやつが大っ嫌いだから、不機嫌そうに煙が嫌いだからあっち行ってと言うと、結構あっさり引き下がってくれます。
インドなら、もうちょっとしつこく言ってきそうなのですが・・・。
タメル地区から南下してアンナプルナ寺院、セト・マチェンドラナート寺院、マチェンドラナート寺院、アカシュ・バイラブ寺院と行って、インドラチョーク(バザール)を抜けてダルバール広場へ帰ってきました。
今日で、いったい何個の寺院を見たんだろう?!
正直、どれがどれだかちょっとわからなくなってしまいました。
これを見てるとすっごく長い間歩いていたみたいに見えますが、結局、2時間半くらいで全部回れてしまいました。(外から見て歩くだけなら、1時間ちょっとで回れると思います。)
もうちょっとしっかり見ても、カトマンズの中心地だけなら、3時間あれば大丈夫だと思います。
夕飯を食べてホテル帰ってきたら、まだ20時前だったためもう一回外に出て行きました。
同じようなルートで町の一周を1時間くらいで回ったのですが、ほとんど店が閉まっていて、ただ疲れただけでした。
インドだったら、これから盛り上がってくるところも結構あったのにって思ったのですが、仕方がないのでホテルに戻りました。
ホテルでシャワーを浴びて、シャンプーを使ったら、髪がすっごくごわごわになってしまいました。
なんで?って思って、そのシャンプーを見ると、「Made in India」だったのがわかりました。
なぜ、そんなシャンプーを使っているのかと言うと、町を歩いている最中にシャンプーを調達していたんです。
そのときに、ちゃんと見ておけばよかったんですけどね。
まあ、外国で1人だし、もう寝るだけだから気にするのはよそうということで、寝ることにしました。
そしたら、次の日は、とんでもないことになっていました。

七日目(3月1日)
ネパールの夜は、かなり冷え込んでいたのにもかかわらず、インドのときと同じように薄着で寝てしまったため、少し体調を崩してしましました。・・・。
それでも、せっかくネパールにいるんだから、がんばって外に出かけました。
朝9時に、隣にあるシヴァレストランでトーストセットを注文し、寒気がしたので、ホットレモンも頼みました。
ちなみに、日本では、一回も頼んだことのないメニューです。
体も温まったところで、ダーラバラというタワーを見に行き、それを見てから、テンプーでスワヤンブヤートへ行きました。
テンプーとは、インドでのオートリキシャーです。
インドでは、料金の交渉で一苦労だったのですが、ネパールではメーターで走るため、何も心配せずに走れるので、体調を崩した私には、すっごく助かりました。
たまに、メーターに細工している人がいるっていうこともあるって聞きましたが・・・。

スワヤンブナート 無事に「スワヤンブナート」到着してみると、階段に圧倒されました。
何段あるか数えませんでしたが、上に行くまでに息が切れてしまうくらいずっと階段が続いていて、本当に、神様は山に潜んでいるっていう感じでした。
スワヤンブナート2 どうにかこうにか上まで行くと巨大ストゥーパがあり、そこを見ていると、体調を崩していたため、急にトイレに行きたくなりました。
そろそろ、洗礼が来たみたいでした。
とりあえず、トイレが見当たらないため修行僧にトイレはどこかと尋ねると、修行僧の生活している寺の中に連れて行ってもらい、どうにかこうにか用を済ますことができました。
さすが、修行僧と思うくらい温和な顔立ちで、すっごく親切にしてくれました。
中には、まだ10歳くらいの若そうな人もいました。
お礼を言って、またストゥーパの周りにいると、死体を焼きだしました。
その風景は、バラナシを思い出しましたが、ここでは写真もOKということだったので、撮ってみました。
バラナシでも思いましたが、人間ってはかないものだなって思いました。
ある程度スワヤンブナートを堪能した後、長い長い階段を下り、近くをぷらぷら30分くらい散歩をしました。
そしたら、自分がどこにいるかよくわかんなくなってしまったので、またまたテンプーで、次の目的地パタンまで行きました。
ここでも、料金交渉はせずにメーターで行きました。

「パタン・ドカ」(門)をくぐり、ゴールデンテンプル(インドにもそんなのがあったかな?)へ向かいました。
ゴールデンテンプルとは通称で、正式名称は、ヒラニャ・ヴァルナ・マハヴィハールというそうです。
パタンで一番重要な仏教寺院がこのゴールデンテンプルだそうです。
その後、クンベシュワール寺院へ行ってから、ダルバール広場へ行きました。
ダルバール広場は、カトマンズのと同じ名前で、宮廷の前の広場っていうものらしいです。
つまり、パタンにも宮廷があったんですね。
ダルバール広場にはたくさんの寺院があり、やはりここにも、カトマンズと同じようにシヴァ寺院やクリシュナ寺院がありました。
ダルバール広場にあるパタン博物館に入り、王宮のコレクションや昔の雰囲気などを感じてから、マハボーダ寺院やマチェンドラナート寺院などに行きました。
日本人とネパール人の結婚式 その辺を歩いていると、なんだか人だかりがあり、着物を着た日本人っぽいおばさんを発見しました。
さらに、TV放送をしているみたいで、よく見るとカメラに広島テレビと書いてありました。
???と思って近づいてみると、日本人の女性(たぶん)とネパール人の男性の結婚式でした。
それを祝っている親族とその辺の野次馬がたくさん集まっていたため、人だかりになっていたんです。
わたしもそれに便乗して、ちょっとの間見ていました。
近くにいたネパール人に、何やっているのかを確認したところ、やはり結婚式で、「友達か?」って聞かれました。
私は、「全然違うよ!単なる旅行者だ!」って言うと、「なんだよ!ただの野次馬かよ!」って言われたんですが、実はそいつも野次馬でした。
お互いなんか知らないけど笑い出し、野次馬同士ちょっと意気投合しました。
人の幸せと見て、私も幸せになりたいなってちょっと思いながら、帰る事にしました。
パタン・ドカに戻り、ローカルバス乗り場まで行くと、インドと同じように、どれがカトマンズオールドバスステーション行きのバスかさっぱりわからない??
まあ、いつものことだと片っ端から聞いて回ると、どうにか確認でき乗り込むことに。
やっと乗れたのですが、ここで、ローカルバスでもうひとつやらなくてはいけないことがありました。
それは、降りるバス停に着いたら、教えてもらうことです。
座った席の隣にいた女性に、バス停に着いたら教えてほしいと英語で頼むと、英語でOK!の返事があり、その後日本語で、「日本人ですか?」って言われました。
そこで、もちろん「はい!」って答えると、その人は日本語を勉強しているらしく、お話をしてくださいって言われました。
その女性は、ラミタさんといって、音大を出てシタール等の楽器製造業?(もしかしたら教えているのかも)の会社に勤めているらしく、その合間で日本語を勉強しているみたいです。
そのような話を聞くと、私も負けずに何か勉強しなくて張って思いました。
日本語と英語を駆使しながら仲良くお話をしていたら、あっという間にラミタさんが降りるバス停になってしまい、せっかく会った記念ということで、一緒に写真を撮りました。
ラミタさんは親切で、次のバスが車で一緒に待ってくれ、さらに、バスの係員に私が降りる場所と私が次に行くためのバスも教えてくれるように頼んでくれました。
ボタナート 本当にいい人でした。
またネパールに行くときがあれば、今度はゆっくり会いたいですね。

カトマンズのオールドバスステーションに戻り、そこから、「ボタナート」へ行きました。
バスの中で少し寝ていたら、あっという間にボタナートへ到着。
ボタナートとは、ブッタの寺ということみたいです。
中央に大きいストゥーパがあり、周りに何箇所かストゥーパがあります。
必ず大きいストゥーパを左回りで回るのが、決まりだそうです。
大きいストゥーパは、上に登れて、ちょっとのんびりできます。
結構雰囲気の良いところで、気に入ったところのひとつです。

パシュパティナート寺院 かなり疲れていたのですが、まだ行かなくてはならないところがありました。
それは、ガンガーと同じというかガンガーの上流にあたる「パシュパティナート」です。
パシュパティナートは、インドのバラナシと同じように、寺と病院が一緒になっていて、死ぬとその場で焼かれて川に流されるという場所です。
日本にいたら、絶対に考えられないところですね。
そこに行くには、またバスを乗らなくてはならなかったのですが、どれに乗っていいかわからなかったので、とりあえずそっちへ歩いていると、乗合テンプーが声をかけてきたので、乗せてもらうことにしました。
パシュパティナートへ通じる別れ道で降ろされて、そこからは歩いてパシュパティナートへ。
到着してチケットを買うと、親切なネパール人がいろいろパシュパティナートについて説明してくれました。
いい奴だなって思っていたんですが、後でとんでもないことになってしまいました・・・。
とりあえず、その人がいろいろ説明してくれるのでついて行くと、ヒンドゥーの神についてなど事細かに教えてくれました。
パシュパティナート寺院の火葬場 正直、もういいよって思うくらい。
中に入ると、バラナシと同じような火葬場で死体を焼き、川に流していました。
ただ、バラナシより全体的に綺麗に感じましたけど。
もちろん火葬場だけでなく、何個かの寺と巡礼に来ていたサドゥー達がいて、ハッパを吸っているやつもいました。
巡礼中は大丈夫だと親切と思っていた男が言っていましたが、私はそういうものが大嫌いなので、相手にしませんでした。
その後、敷地内を探索していざ帰る時に、説明してくれた親切だと思った男が急にガイド料を払えと言ってきました。
インドならそういうのはよくあるから、始めにお金は払わないとか言うんですが、ネパールなら大丈夫だろうと思って油断をしてしまいました。
それで、いくらほしいんだって聞くと、なんとUS10$?!
ふざけんなって、さすがに怒りましたね。
だって、ネパールでUS10$ということは、かなりの大金ですよ!
それで、長い間交渉(怒って)していると、アズユーライクでいいって言ってきたので、10ルピーなら払うと言うと、それならいらないとか言ってきました。
結局、払わないで済んだのですが、すっごく不愉快になりました。
やっぱり、ネパールもインドと同じように、金・金・金なんだなって思うと、すっごく淋しくなりました。

すっごい不愉快のままネパール最後の夜を迎え、「ネパーリーダンス」を見にラジンバットにある文化センターみたいなところに行きました。
ラジンバットは、パシュパティナートからはすっごく遠く、テンプーとかで行かないと辛いところだったのですが、ネパールルピーがもうすぐ底をつきそうだったので、歩いて行くことにしました。
それが、とんでもないことに・・・。
歩けど歩けど到着せず、結局、1時間30分くらい歩いてやっと到着しました。
本当に疲れていたで、何度、もう帰っちゃおうかなって思ったことか・・・。
到着して料金を聞くと、なんと持っているネパールルピーでぎりぎりでした。
そうなると、この遠くから、ホテルまでどうやって帰ろうか本当に悩んでしまい、私はある行動に出ました。
それは、US$で支払って良いか交渉したのです。
ネパーリーダンス 店員はボスに聞きに行き、どうにか了承を得ました。
そしたら、私も急に強気になり、料理を注文し、この旅初めてのビールも頼みました。
疲れていたのと久しぶりのアルコールで、缶ビール一杯ですっかり酔っ払ってしまい、始まる前に眠くなってしまいました。
それで、時計を見ると、予定の開園時間をとっくに過ぎていました。
また店員を呼び、「どうなってるの?」って聞くと、団体客が来るのが遅れているからもうちょっと待ってくれとのこと・・・。
せっかく遠いところから歩いてきたんだから早くしろ!って待っていると、35分遅れで団体客がやってきました。
その団体客を見て、やっぱりね〜って思いました。
なぜかと言うと、その団体客は中国人でした。
相変わらず中国人はルーズだなって思い(全員そうとは思っていませんがあくまでイメージです。)ながら、やっと始まったネパーリーダンスを堪能しました。
ストーリーはよくわかんなかったのですが、とりあえず、すっごく楽しそうに踊っているので、それだけでこっちも楽しくなります。
すっかり、パシュパティナートでの出来事も忘れてしまいました。
一時間のダンスが終わり、いざ帰ることに。
外は暗くって、タクシーでないと帰れないところだったので、仲良くなった店員にタクシーを止めてもらい、ホテルへ帰りました。

今日は、すっごく歩いたし、寒気がして体調も不良で大変な一日でしたが、これではまだ終わりませんでした。
夜になり、ついに本当の洗礼(下痢)に襲われました。
ただ、去年経験した死ぬかもって思うほどではなかったですけどね。
しかし、頭も痛くなってきました。
とりあえず、ウエットティッシュを頭にのせて頭痛対策をし、あとは、早く寝ようとずっと横になっていました。
何回か夜に目が覚めてトイレに行きましたが、どうにか寝ることができました。

八日目(3月2日)
ついに帰る日を向かえました。
下痢のほうはまだ少し続いていますが、頭痛のほうは治ったため、どうにか日本に帰れそうな朝でした。
昨日と同じシヴァレストランに朝食を食べに行き、お別れの挨拶をしてからネット屋へ。
友達に帰る報告のメールを打ち、ホテルで休養してから11時ごろチェックアウトをしました。
その時に、お世話になったホテルの従業員とお別れをし、またネパールに来たらこのホテルに泊まると約束をしました。
そのホテルの従業員は本当にいいやつで、しっかりした青年でした。
タクシーで空港まで向かっている間に、今までの旅行のことをいろいろ思い出し、本当に帰るんだなってしみじみ思いました。
「ネパール国際空港」に到着し時間を見ると、11時20分前。
デリー行きの飛行機が13時50分だったのでまだまだ時間があり、入国審査後、残ったネパールルピーをどうしようかと思ってふらふらしていると、日本人とぶつかりそうになりました。
ずっと1人だった私は、ちょっと日本語が恋しくなっていたのもあり、ぶつかりそうになった人に話しかけました。
いつもは、日本人にこちらから話しかけないのですが、その時はなぜか話してしまいましたね。
なんか、直感で良さそうな人と感じたのだと思います。
そして、お話をしていると、偶然にも同じようにデリーに経由で成田まで帰るということだったので、一緒に日本まで帰ることにしました。
カトマンズに来たときは日本人1人だったのに、こんな偶然もあるんだなって思いました。
結局、私が持っていたネパールルピーでは、空港の物価では何も買えなかったので、その人にジュースをおごってもらい、一緒に出発まで話していました。
久しぶりに日本語で今までの旅のことなどを話していたら、本当に帰るんだなって実感が沸いてきました。
デリー行きのインディアンエアラインは、結局一時間以上遅れて出発し、無事にデリーに到着しました。
デリーに着くと、成田まではまだ時間があったので、まだ持っていたインドルピーで買い物をしようと思ったのですが、こちらも空港物価でお土産は買えず、仕方がないのでチャイを買いました。
ちなみに、土産はUS$で買いました。
先ほどのお礼と言うことで、今度は、私が一緒に帰る人にチャイをおごってあげました。
そこで、チャイ屋の親父とちょっと仲良く話した後、日本行きのエアインディアに乗り込みました。
バンコク経由で約10時間くらい乗り、翌日(3月3日)の朝にやっと成田に帰ってきました。
インド、バンコクと、空港に停まっている間はすごく暑くって死にそうだったのに、成田に着いたらすごく寒くって辛かったです。
でも、本当に日本に帰ってきたんだなって実感しました。
成田空港で、カトマンズで知り合った人とお別れをして、家に帰りました。
これで、私のインド・ネパールの旅は終了しました。

後書き
今年もまたインド(ネパールは初ですが)へ一人旅をしましたが、去年より落ち着いて、インド人と仲良くなれたような気がします。
インド人にもたくさん助けられましたし。
それに、最初の目的であったタージマハルやジャマーマスジットなどのリベンジも無事果たせて良かったです。
インドは、やはり私には向いている国のようで、今回で最後にしようかと思っていたんですが、また行きたくなりました。
たぶん、またいつか行くでしょう!
ネパールのほうは、インドと同じような感じかと思っていたのですが、全然違う国で、西洋風の格好の人が多かったですね。
Made in Nepalがないというだけあって、ちょっと個性がない国のように思えました。
しかし、寺などの建物を見ると、歴史も文化もあるってことはわかります。
と言うことは、結局、個性があるってことなんだなって思います。
ただ、これだけは言えるのですが、どっちの国も人間味溢れるる国と言えますね。
皆さんにもぜひ行ってもらいたいです。
よく、インドは怖いとか病気になるとか言いますが、そんなことはたぶんありません。
もちろん、下痢とかはなると思いますが、そういうのが無理だったら、どこの国にも行かないほうがいいと思いますよ。
下痢さえ乗り切れれば、楽しい旅が必ず待っていますので、皆さんもぜひインド・ネパールへ行ってみてください。

今度は、どこに行くかわかりませんが、またインドに行くのなら、今までに行っていないジャイプルやカルカッタ、中央から南インドなどに行ってみたいですね。
ネパールならポカラや山のほうに住んでいる民族のところなども行ってみたいですし、ちょっとしたハイキングなどもしてみたいです。
この8泊9日では、まだまだ行けない所がたくさんありすぎて残念で仕方がないのですが、それは次の機会に取っておこうと思います。

最後に、この旅で、自分自身は成長したと思います。
やはり、1人で飛行機や電車の手配、ホテルの交渉などをやり遂げただけでもすごいことだし、それよりインド人やネパール人だけでなく、いろんな国の文化や慣習の違う外国人と話すことができたことが、自分の考え方や幅を広げたと思うからです。
旅とは、同じ場所に行ったとしても、人により全然違うものになりますので、自分自身で良い旅と思えれば、それはそれで良い旅なんだと思います。
みなさんにも、そのような良い旅をしてもらいたいです。
それで、お互いに語り合いながらみんなで楽しくなれればいいし、成長できればいいと思っています。
この旅行記に感想等がございましたら、掲示板に書き込むかメールをください。
書いてくれた方には、必ず返事します。
それで、お互いに楽しみましょう!
それでは、また。
次回の旅でまた会いましょう!


おわり

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